08.19.2009
突然ですが...
東京は油田なのである!
すみません、いきなり叫んでしまいました。
というのもこの言葉、今日ご紹介する「TOKYO油田2017」が掲げている言葉なんです。

「TOKYO油田2017」は、株式会社ユーズが行っている廃油回収プロジェクト。
でもなぜ東京が油田なのでしょう。
実は家庭で使ったてんぷら油は、
適切な処理をすれば新しいエネルギーや、石けんやキャンドル、
家畜の飼料や畑の肥料に生まれ変わる大切な資源なんです。
そんなてんぷら油を一番多く使うのが東京のような大都会。
たくさんの人々が、暮らしの中で使ったてんぷら油は、
言わば東京生まれのeco資源。
つまり東京は、世界有数の規模をもった油田!といえるのです。
「TOKYO油田2017」では、東京で使われた事業者や家庭の油を回収し、
VDFという独自の二酸化炭素を増やさないバイオディーゼル燃料に変換したり、
石けんやキャンドル、肥料・飼料としてリサイクルしています。
また、回収活動にあたってのおもしろい取り組みも魅力のひとつ。
たとえば、廃油提供10回で1670yudenというecoマネーと交換できるのですが、
福島県にあるTOKYO油田の森1坪と交換できるんです。
またVDFはディーゼル発電の燃料としても使用できるため、
「VDF発電を野外コンサートのスタンダードに!」を合い言葉に、
2005年富士ロックフェスティバルの舞台照明の発電に使われたり、
日本最大の環境イベントアースデイ東京でも、
2006年から「VDF東京大油田」プロジェクトを実施。
イベント当日、化石燃料から排出される二酸化炭素を減らすために
燃料をVDFで代替することを目指し、来場者から廃食油を集める活動を行ったりしています。
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ところで...そもそもなぜ「東京は油田!」だなんて思ったんでしょうか?
発案者である、株式会社ユーズの代表染谷ゆみさんにお話を伺いました。
染谷ゆみさんは、廃油回収を行う染谷商店の3代目。
初代の権五郎さんから始まり、「TOKYO油田2017」が生まれるまでの歴史とともにご紹介します。
油の移り変わりとともに廃油回収も大きく変わっていきました。

株式会社ユーズ 代表の染谷ゆみさん
● 始まりは終戦後の日本。油は貴重な栄養分でした。
1949年。
染谷商店初代の染谷権五郎さんは東京で食堂を営んでいましたが、
東京大空襲であたりは一面焼け野原に。
命からがら逃げ出したものの、食堂を失った権五郎さん。
知り合いの飲食店仲間から、天ぷらカスを集めて絞りとった油分を、
石鹸の原料として売る仕事があることを聞きつけます。
これが廃油回収の始まりでした。
当時、油はお米と同じ値段。油缶には「栄養満点!」の文字が書かれるなど
日本人にとって、貴重な栄養分でした。
(天ぷらは超がつくほどの高級料理だったんですって。)
高価な油は、継ぎ足しながらすべて使い切ります。液体を捨てるなんてもったいない。
残るものといえば、天ぷらを揚げたときにできる天カスぐらいだったんです。
天カスを絞った廃油といえども、価値のある時代でした。
さて2代目は権五郎さんの息子、武男さん。
戦争で何が正しいかわからなくなった武男さんでしたが、
親のために手伝うことはどんな時代も正しいと、
夜間の高校に通いながら、昼間は天カス回収を手伝います。
跡取りもでき、染谷商店が本格的にスタートしました。

当時の油缶。ちょっと見にくいですが...
「風味満点・カロリーたっぷり」と書かれています。
● 高度経済成長期。外食産業で廃油が増える。
1970年代に入り、日本は高度経済成長期へ。
アメリカから来たマクドナルド1号店に長蛇の列が出来た時代です。
マクドナルドやケンタッキーなどの外食産業が広まったことで、
食文化が変わり、天カスの回収は液体の油回収へ。
廃油の量も増え、染谷商店も大きくなっていきました。
●円の自由化。廃油の行き場がなくなる!
次の転機は1985年。海外では笑いの種だった値段の安い日本製品が、
優れた製品力により徐々に認められ、どんどん売れるようになりました。
そこでアメリカは日本の輸出競争力を抑えるためにプラザ合意を行い、
1ドル240円程度から100円にまで円高が進みました。
しかしその後もアメリカの貿易赤字は膨らみ、関税撤廃を要求。
関税が下がり円が高くなったことで、
高価だった油もミネラルウォーターよりも安くなりました。
するとお店(レストラン)や家庭では、すぐに新しい油を買うようになります。
廃油を原料に石鹸をつくっていた工場も、
加工代が高い廃油よりも新油を使うようになり、
廃油回収業者も、以前のように廃油が売れなくなってしまいました。
「いらないもの」となった廃油は、
産業廃棄物となりお店(レストラン)が処理費用をもらって廃棄処理するようになります。
● "消費は美徳"のバブル突入。3代目となる染谷ゆみさんはアジアへ。
円高から日本がバブル景気へと突き進む中、
ちょうど高校を卒業したゆみさんはアジアへ旅に出ていました。
そこで、今の環境ビジネスに目覚める大きなきっかけとなる事件に出会います。
チベットの3000mある山を旅していた時、土砂くずれに遭遇したのです。
ゆみさんは間一髪で逃げ出し助かりましたが、天災の恐ろしさを実感。
しかし地元の人は「これは天災じゃない、人災なんだ。」と言います。
聞けば、人間が山に登りやすいように木を切り拓いて道路をつくったために、
山が崩れ土砂災害が発生するようになったそうです。
「地球は微妙なバランスで成り立っているんだ」
目の前で環境崩壊を体験したゆみさんは、
環境に関する仕事に就きたいと思うようになります。
ところが日本に帰れば、消費は美徳のバブル時代。
日本がお金を使うことは世界のためになると、みんなが消費を重ねていた頃。
今のように環境ビジネスを行う企業もなかったため、旅行会社へ就職します。
しかしやはり環境への想いを捨てきれません。
旅行会社を退社し、ビジネスとして環境に取り組むべく就職先を探す中、
一番身近に環境ビジネスを行う企業があることに気付きます。
染谷商店です。廃油が産業廃棄物として処理される中でも、回収を続けていました。
こうしてゆみさんは染谷商店に就職。1991年のことでした。
● わたしは油田を掘り起こしてるんだ!
当時は就職口がいくらでもある好景気。
そんな中、油屋として肉体労働で油まみれになりながら働く20代の女性の姿は
「何か事情があるの?」と不思議な顔で尋ねられるほど珍しいことでした。
「自分はいったい何をしているんだろう?」
悶々としていたある日、渋滞の中トラックを運転していた時のこと。
「東京は油田なんだ。私はそれを掘り起こしているんだ!」という考えがふと浮かびます。
自分は油田を開発しているんだ!ひとつひとつお店から出る油はゴミではなく資源!
その資源を集めているという夢がある!
ゆみさんは、途端に元気がでてきました。
こうして発見された「東京油田」という言葉は、
東京を油田にするという会社のビジョンとして掲げられ、
その後の染谷商店の大きな原動力となりました。
● 1993年 世界初のVDFを開発!
「いらないもの」になってしまった廃油。
しかし飲食店からは廃油が毎日出ています。
いらないからと言ってなくなるものじゃない。
廃油はリサイクル商品。何とか新しい用途を開発せねば!
そして生み出されたのが、VDF(ベジタブル・ディーゼル・フューエル)。
廃食油をディーゼル燃料化した世界初の取り組みです。
大気汚染の原因となる硫黄酸化物はゼロという地球に優しいクリーンなエネルギーは、
軽油に代わる車の燃料としてニーズもあり、てんぷら油で車が走ると脚光を浴びます。
ちょうど時代も、バブル終盤。
景気が悪くなり、環境に取り組まなければいけないと気運も高まってきた頃でした。
当時、てんぷら油で車が走るなんて誰も考えつかなかったこと。
廃油は資源の宝だという「東京油田」の考え方によって、
廃油から軽油代替燃料への変換という発想が生まれ、
きっとできるという信念が成功へと導いたのでした。

これが、廃油をバイオディーゼル燃料に変換する機械!
● 「TOKYO油田2017」に込めた想い。
1997年に株式会社ユーズを立ち上げたゆみさん。
2007年に「TOKYO油田2017」プロジェクトを開始します。
プロジェクト名の「2017」には、
2017年までに東京の油を全部集めるという想いが込められています。
あと9年、このビジョンに向かってひたすら走るぞ!と
社員一丸となって取り組んでいるそうです。
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染谷さんは、運動ではなくビジネスにこだわります。
環境問題に永続的に取り組むことを大事にしているからこそ。
「やっていること自体が社会に良いことで、売上をあげていければ、
社会の仕組みを変えていける。世の中のニーズを顕在化させ、
お客様に認められ売れるビジネスをすることは、
環境問題に取り組む上で、理想的な形なのかもしれない。」と染谷さん。
また、家庭から捨てられてしまう油を地域のお店やショップが担う
廃油の「回収ステーション」も、まもなく110箇所に。
ここまで広がったのは、互いにwin-winだからこそだといいます。
「TOKYO油田2017」では、単に油回収ではなく回収ステーションを設けてくれたお店も
HP上で紹介。TOKYO油田に油を出してしっかりリサイクルしていることを
紹介することで、廃油回収の立場から企業のCSRを後押ししています。
また、店舗側も「回収ステーション」を置くことで、違った層のお客さんが来るようになり
集客・売上げUPにつながっているそうです。
店員とお客さんのコミュニケーションも生まれるなど、使い終わった油が
まさに地域の「潤滑油」となっているわけです。

あるせんべい屋さんは、廃油をもってきてくれたお客さんに
このせんべいを差し上げているそうです。
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染谷さんはまさにエネルギー溢れる方。私も取材をしていて元気をもらいました。
絶対に東京を油田にしてください!
2017年に、またお邪魔しまーす!
【今回ご紹介した企業】
株式会社ユーズ(TOKYO油田2017)
URL:http://tokyoyuden.jp/
山陰さち